2012年4月17日火曜日

グレッグ・パラスト、レーガンの死に贈る強烈コラム: 暗いニュースリンク


ジャーナリスト、グレッグ・パラスト氏の2004/06/06付けコラムより。以下に全文を翻訳掲載。

美談だけが語られているレーガン元大統領の死に関する報道に対して、パラスト氏は強烈な怒りを表明しているようである。無理もない。レーガン政権はブッシュ政権の原型といわれ、イラン・コントラ事件は今日のアメリカ政府の暗黒面を象徴する先駆的な事件だった。(イラン・コントラ事件の闇の部分に関してはドキュメンタリー「COVERUP:Behind The Iran Contra Affair」が詳しい)
2004/06/10追加:アルフランケンのラジオショー6月8日放送分にゲスト出演したパラスト氏の話「このコラム記事を公開した後、"オマエを殺してやる"っていうメールをゴマンと受け取ったよ


「殺人者で、臆病者で、詐欺師のレーガンの死にひと安心。
早死にするのは善人だけという証明がまたひとつ」

by グレッグ・パラスト

誰でもやりたくないことだ。死んだ人間のことを悪くいうべきじゃあないだろう。しかし今回は、誰かがそれをやらなきゃならない。

ロナルド・レーガンは詐欺師だった。レーガンは臆病者だった。そして、レーガンは殺人者だった。


何が最善の航空ショーです。

1987年、私はニカラグアのチャグイティロ(Chaguitillo)という安っぽい小さな町で立ち往生していた。人々は腹を空かしていたが、充分親切だった。ただ1人、或る不機嫌な若い男を除いて。彼の妻は結核で死んだばかりだった。

抗生物質がいくらかでも手に入るなら、人は結核で死なずに済む。しかし、ロナルド・レーガンは---広い心を持つといわれた男だが---地元の人間によって選ばれた政府が気に入らないという理由で、ニカラグアへの医薬品の輸出を禁止したのだ。

若い女性の肺が詰まり、呼吸が止まっていく間、ロニー(レーガン)はにやにや笑って、ジョークを口にしていた。そして、三人の子の母親であるその女性が埋葬されている間、レーガンはお得意のB級映画の笑顔を見せたのだ。

ヒズボラのテロリスト達が、レバノンに居たアメリカ海兵隊の寝込みを一斉攻撃し、何百人も殺した時、テレビ向け兵士のレーガンは鞭を打たれた犬のように逃げ出し、それからくるりと向きを変えてグレナダに侵攻した。あの地中海のちっぽけな戦争は、レーガンが空港建設中のキューバ人達を撃ち殺す行列を維持するための残忍なPRスタントだった。


牛が低下

それに、私はナンシー夫人---デザイナードレスを着て意気揚々と歩く骸骨---のことも憶えている。レーガン家に流れ着いた贈り物のいくつかは---帽子から百万ドルの邸宅まで---政府の略奪品で充分な報酬を得た仲間たちから贈られたものだ。それは、かつては賄賂と呼ばれていたものである。

そして始終、おじいちゃんは笑顔で、自分の孫達の面倒すら見ようともしないのに「家族の大切さ」を繰り返し唱えて見せたのだ。

ニューヨークタイムズは、そのお決まりの死亡記事の中で、レーガンは「アメリカの小さな町の信条」「古きよき時代の価値観」が投影された人物だと書いた。「価値観」とは聞いて呆れる。それは組合つぶしであり、貧乏でデザイナードレスも買えないような連中に対する戦争宣言であり、億万長者がより多く稼ぐためにアメリカに飢餓を持ち込むことになった新しい下劣さの象徴だったのだ。

「小さな町」の信条だって?カリフォルニアの映画スターで、マリブの大御所が?いいかげんにしてくれ。


どのように私はロシア語でクラスノヤルスクを綴るのですか?

四六時中ホワイトハウスの地下にいて、脳みそが蒸発していった彼の最後の意識行動といったら、議会に対するクーデターの容認だった。レーガン政権の国防長官、キャスパー"ザ・ゴースト"ワインバーガーと発狂したオリバーノース大佐は、中東の怪物、アヤトラ・ホメイニ氏に武器を与えることを企んでいたのだ。

レーガンの子分達はジミー・カーターのことを嫌われ者の意気地なしと呼んだが、カーターはアヤトラ政権に一歩も譲らなかった。映画のファンタジーに生きるカメラ前だけのタフガイペテン師のレーガンは、怖気づいたゴキブリみたいにホメイニ氏に跪いて、人質解放を懇願したのだ。

オリバー・ノースはイランに飛び、狂信的な宗教指導者のための誕生日ケーキを持参した。それは鍵の形をしていた。レーガンのハートを開く鍵だ。

それから、レーガンは自らの臆病さに犯罪をミックスさせた。人質を獲られた相手から金を受け取り、「コントラ」のための銃を買ったのだ。コントラはニカラグアで自由の戦士を装っていた麻薬密売人たちのことである。


バークレイで学生時代を過ごした者として、拡声器でがなりたてられていた言葉を私は憶えている。「カリフォルニア州知事、ロナルド・レーガン、ここにデモの解散を命令する」そして、催涙ガスと警棒の登場だ。その間ずっと、毒牙が隠れた笑顔を浮かべるレーガンが居た。

チャグイティロでは、一晩中、レーガン仕込みのコントラテロリスト達から子供達を守るために、農民たちは眠らずに見張っていた。頭の壊れた合衆国大統領言うところの「共産主義者」である農民たちは、サンディニエスタ支持者でないというだけでなく、テキサスから車でわずか48時間の場所にいたのだ。連中はテキサスにとって一体なんだというのだ?

それでもなお、農民とその家族たちは、レーガンにとって標的だったのだ。

チャグイティロの閑散とした闇の中、TVは踊った。奇妙なことに、それは「悪党兄弟」というタイトルの三流ギャング映画で、主演はロナルド・レーガン!というわけだ。

まあ、皆さん、今夜は少しだけ落ち着いて眠れるでしょう。悪党は死んだのだから。

殺人者、臆病者、詐欺師のロナルド・レーガンよ、グッドバイ。いなくなって清々したよ。



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