コーヒーファンならご存知の人も多いと思いますが、私たちが飲用するアラビカ種の起源は東アフリカの熱帯山岳森林地帯で、最初に見つかったのはエチオピアのアビシニア高原です。
ちなみにインスタントコーヒーなどの使われるロブスタ種は、西アフリカ一帯やコンゴ川流域からウガンダまでの広範囲に及びます。
低地で高木のロブスタ種は繁殖力に優れていますが、山岳地帯高地で育つ野生のアラビカ種は果実をわずかしか実らすことができません。
そんなアラビカ種ですが、この地域に自生する在来品種の数は十種類以上にも及び、これまで私たちは個々の特性をもとに優れた品種を選択して飲用してきました。
エチオピアから
イスラム商人の手を経て
イエメンへ
エチオピアという国は、
紀元前のシバの女王の時代から現在まで
アフリカで唯一のキリスト教国家なんです。
ですから、イスラム商人は自由に行き来できる
イエメンで栽培環境が整ってる高地を見つけて、
貴重な交易品としてコーヒーの木を育てたと思います。
ほとんどの豆は「モカ種」とされ、ハラー、ジンマ、シダモ、イリガチェフなどの生産地域を銘柄名としてつけられ販売されています。
そんな中から
鐘のキャビネットにあるもの
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マラウィでは、現在アフリカで唯一ゲイシャ種を栽培しています。
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国外持ち出しを禁止されていた
イエメンから
旅行者によって密かに
オランダへ持ち出される
コーヒーを最初に発見したのは<羊飼い>または<アラブのお坊さん>とされていますが、それは多分イスラム商人が交易のために作成した広告コピーだと思います。
実際にいつ頃からエチオピアで飲用されるようになったのか、そして、いつ頃からイエメンでも栽培されるようになったのかは現在のところ残された資料が見つかっていないために確定されていません。
しかし、エチオピアで見つかったコーヒー豆がイスラム商人の目にとまり、栽培環境がアビシニアン高原とよく似てるイエメンの山岳地帯に移植され育てられたことは間違いないでしょう。
初めて起動したときにエンジンが、それは非常にスモーキーになります
イエメンのモカ港から出荷されたコーヒー豆は、地中海貿易でヨーロッパの貴族の間に広まり、重要な交易品として外貨を稼ぎました。このまさに金の生る木であったコーヒーの苗木は、国外不出の厳重管理下に置かれました。
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ティピカ種は枝をほぼ水平に伸ばして大きな木に育ち、ブルボン種は反対に垂直方向にコンパクトに枝を伸ばし収穫量は多めです。モカの木は背が低く小型で、葉も果実も小さく収穫量の少なめです。
これら三大品種は、その後の新しい交配種に比べて生産性は低いのですが、素晴らしいアロマを楽しませてくれる品種として世界中のカップテイスター達に認識され、最も貴重なコーヒーとされています。
ただし、イエメン産の銘柄はどれも品種を確定することが出来ずに「在来種」として表示輸出されているのが現状ですが、生豆の形状からモカ種の混在比率が高いように思われます。
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このマウイ島で採れるモカはイエメン産伝来のお薦めの逸品です。
ベネチア商人たちが王侯貴族にコーヒーを広め始めた17世紀初めごろ、ヨーロッパの富裕層にとってはオリエントへ旅行することは一種の憧れでもあったんですね。
1616年にオランダへコーヒーが紹介されたという話が見受けられますが、実際のところは旅行者がオリエントから門外不出のコーヒーの木を持ち出すことに成功したのでしょう。
あなたは霧のプールを持っていたときに何をするか
その苗木を入手して育てたのが大航海時代に世界の海を駆け巡り貿易で活躍したオランダの東インド会社。早速、1658年にセイロンで栽培を開始し、更に東インド諸島に持ち込みます。
殉教者が密かに
インドへ持ち出す
世界の海を駆け巡る
オランダの東インド会社が
インドネシア諸島へ
コーヒーの苗木を持ち込む
1600年ごろにメッカへ巡礼に訪れたバーバ・ブーダンが7粒のコーヒーの種子を密かに持ち出すことに成功し、インドでの栽培も行われるようになった。
1920年代にマイソールにあった英国人農園主のロバート・ケント氏所有のドッデングーダ農園にてティピカの突然変異ケント種が発見され、最近のフレーバー・オブ・インディア2004ではカッピングコンテスト第1位!に輝いた。
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オランダが
ジャワ島に持ち込んだ
スマトラ島やジャワ島で栽培されたティピカ種は、かつては力強く生産性に優れてブラジルに次いで世界第二位の生産国でした。
ところが19世紀後半にコーヒーの木が錆病などの被害を受け壊滅状態になったんです。
またスラウィッシュ島で栽培したコーヒー豆は、当時の王侯貴族に大変喜ばれたそうですが、世界大戦が始まったころには閉園してしまいました。
それを日本の商社が復活させて、キーコーヒーが<幻のコーヒー>として売り出したのは有名です。
復活した名品として
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